結論よりも、過程が大事なこともある

純粋な数学の問題の場合、正しく式を構築した上で、計算を間違えて正しくない答えを出してしまっても、大した問題ではない。満点ではないにせよ、式の構築が正しい段階で及第点は出しても良いと思う。
一方で、式の構築も何もなく、直感的に得た答えがたまたま答えが合っていた、と言う場合、答えは合っていても、合格点を与えることはできない。
そう言う訳で木俣は他人の記事に対してしばしば結論には同意しますが途中のここが気に入らないとコメントをつける。が、コメントの対象となる記事の筆者にしてみると、言いたいのは結論な訳で、記事の論旨とは外れますので…… (その過程に一々コメントをつけられても困る)と言う様なコメントが返ってくることがしばしばある。
しかし、それでは駄目なのである (少なくとも木俣はそう思っているからこそ結論ではなくその過程に対してコメントする)。はっきり言えば結論さえ正しければ、その過程で何を言っても良いという訳ではない
また、その過程を否定されて記事の論旨とは関係がない等というのであれば、そもそも記事の論旨に関係の無い過程など書いてあること自体が間違いである。
ちなみに、すべての問題に対してこのような態度で臨むべき、とまで言う気はない。解りやすい例としては、買い物に行く時、合計幾ら必要かなんて場合は式の構築よりも丼勘定で合計いくらかを知ることの方が重要である。
正しい答えが4,200円の時、丼勘定で5,000円と、正しい式と1桁計算を間違えて42,000円なら、丼勘定の5,000円の方が評価されるべきだ。特に1桁の間違いが少なく出て420円になってはそもそも買い物ができなくなる。