上野顕太郎先生がついに傑作を描き始めてしまった

基本的に木俣は毎号購読する漫画の次回予告や広告は見ない。必要ないからだ。だから、今日、本屋で度肝を抜かれた。

毎月購入しているコミックビームの表紙みて、嫌な予感がした。予感というか、その意味するところを知り、まさか、と思ってしまった。まさかな訳がなく、当然上野先生が奥様について新連載を始める以外あり得ない表紙だったので予感とか、まさか、というのは単に木俣が理解したくないだけだ、とその場で分かってしまった。それくらいはっきりと意味するところが分かったが、それでも理解したくないので、もう一度まさかと思いながら連載を読み始めた。やはり、奥様の話だった。

一応上野先生を知らない方……の方が多そうだな……の為に上野顕太郎先生を一言で説明すると、マニアックなギャグ漫画家である。どういう漫画であるとか、どこが面白い、というのはそれこそ先生の漫画を読んでいただく以外に言いようがないのだが、その着眼点と発想力、そして何より、日常の中からギャグ漫画のネタを探し出す洞察力はプロの漫画家の中でもかなり上だと思っている。いささか陳腐な表現だが間違いなく天才である。

だから、木俣は上野先生について、多少マイナーかもしれないが安心していた。いつか今までどころではない、とんでもない傑作を描き始めることを知っていたからである。でも、こんな傑作だとは思いもよらなかった。

上野先生は愛妻家である。家族をものすごい大事にしている。それはごくまれに漫画の中に登場するご自身とご家族をみていれば自然と伝わってきた。そして、その奥様は数年前に亡くなっていた。そしてそれを木俣が知ったのは確か半年以上経ってからのことであった。上野先生は奥様が奥様が亡くなっても、普段と同じようにギャグ漫画を描き続け、少なくとも私は気づかず漫画を読んで笑っていた。勝手に想像するのも憚られるが、その心中を察しようとするだけで筆舌に尽くしがたい気持ちになる。

上野先生は漫画家なので漫画に描くのは当然なのだが、なぜか木俣は先生はギャグ漫画家だから、奥様が亡くなったときもギャグ漫画を描き続けた方だから、このことについては漫画に描かないのだろう、勝手に安心してしまっていた。

しかし、上野先生は奥様が亡くなったときのことを漫画に描き始めてしまった。天才ギャグ漫画が、その常人の域を外れた洞察力と表現力で自身が絶望の淵の向こう側に落ちてく家庭を漫画にし始めてしまった。読者は天才の視点で人が絶望する様をみることになる。

いまはただひたすらに恐ろしい。しかし、目は離せない。そこに物語が有る以上、読まざるを得ない。恐ろしい。