鳥人間コンテンストは投資の場と解釈している

鳥人間コンテンスト参加したこともなければ、参加経験のある知人もいないし、見学にすら行ったこともないので、以下、大雑把にそういうもの (例えば、ロボコンとか含めて) 全般対する木俣の評価となるが、ああいうものは社会全体の投資であり、決して金持ちの道楽ではない。

覚え書き@kazuhi.to経由で鳥人間コンテスト−今や格差社会を象徴する番組か?を読んで木俣が違和感を覚えたのは、鳥人間コンテストを単なるテレビ番組、消費の場、お祭りの場、金持ちの趣味的道楽として評価しているのではないか、という点だ。

もちろん、そう言う面もあるだろう。テレビ番組として無価値になれば出資者を失ったコンテストは終了してしまうかもしれない。参加者はお祭りのつもりかもしれないし (そして多分、そう言う参加者は沢山いるだろう)、単なる趣味として楽しんでいる人も沢山いるだろう。

しかし、学生がああいう企画に参加すること、社会人として金と時間を捻出して参加することは、各参加者個人のみならず、社会全体の大切な財産となり、そう言う経験の場を設けるのは社会全体として必要な投資だ、と木俣は評価している。特に、技術立国を自認するのであれば。

個別のコンテストや大会が、果たして採算に見合う効果を持っているかどうかは知らないが、テレビを観た限り鳥人間コンテストに関しては、文部科学省あたりが協賛に入って国庫を投じてでも維持する価値のある大会だと思う。

経済的に問題がある苦学生を救うのも大事

経済事情により大学どころか高校にも行けない、若しくは高校中退せざるを得ない生徒が増えていることを考えると

木俣はデータなどを一切持たないので、果たしてこういう経済な理由より学習を断念する学生がどれくらいいるかは知らないが、もちろん、こちらも大事な投資であり、そのような意味で格差社会が広がっているなら、国や自治体は惜しみなくそう言う学生を支援するべきだ。